台風が九州地方に近づいているとかで、千葉もいつ雨が落ちてくるかという天気。「でも行くもんね」と渡邉を含めた“探検隊クァルテット”は4台のチャリも軽快に浜田川沿いをマリンスタジアム脇を通り、美浜大橋から「検見川の浜」に出て一休み。
ヨットハーバーの裏側を通過、稲毛海浜公園内の「民間航空記念館」に着きました。8時に出発しここまで50分。館内には「鳳号」という明治45年に完成した、複葉機が復元、展示されています。
その他日本の民間航空の歴史に残る資料の数々に、内藤兄君は「ふぅ〜ん」。他の二人は、館長にいただいた折り紙で作った紙飛行機を飛ばすのに夢中なよう―。
「オーイ行くぞ」と9時半出発。「アレ〜、雨ですょ」チャッカリ内藤弟君は「イオン、イオン」と勝手にチャリの進行方向を変えてしまいました。やむおえず雨のやむまで稲毛海岸駅そばのイオンの中で“雨宿り”。
「やんだよ。行こ行こ」はシッカリ者の長谷川君。駅から約10分の稲岸公園にある「民間航空発祥の地碑」に。ここは 1912(大正元年) に出来た民間航空の練習飛行場跡地です。当時の海岸を利用して滑走路があったとのこと。
ここでも、内藤兄君は目を輝かせて「ふぅ〜ん」。内藤弟・長谷川君はそばにあるミニSLではしゃぎっぱなし。そして一緒に「ハラへったぁ〜」。給食は何時なの ? 」と渡邉が聞くと「12時10分」。「バッカたれ、まだ10時半。鷺沼5丁目まで一直線だい」。少々ゲンナリ気味の二人を6年生の内藤兄君が元気づけます。
国道14号の裏にある遊歩道を、大人用自転車2台は颯爽と、子供用の2台はヨタヨタと再び30分、最後の目的地「山縣飛行士殉空の地碑」は急坂の上にあります。
ここは大正7年以後、稲毛から当時の鷺沼海岸(現在の袖ヶ浦第二遊園) に移された滑走路から飛び立った山縣飛行士が3回宙返りに失敗し、墜落した場所。「民間航空の歴史には大変な犠牲もあったんだよ」との渡邉の説明に、内藤兄君は元より残りの二人も殊勝な顔をみせてくれます。
「さぁ、今回の探検はこれでおしまい。阿武松部屋を見てから帰ろう」「何、それ ? 」「お相撲部屋だよ」。稽古が終わりチャンコがすんだのでしょうか、ざんばら髪のお相撲さんが鬢付け油の匂いを香らせてくれました。ここは、習志野市と千葉市の境界線。
今夏2回の「探検隊」は無事に終わりました。私たち幕張西地区に住んでいる同人に「幕張ってどんなところ?」と聞かれると「えぇっ、メッセがあってぇ、それから何かな」と言う方が多いのではないでしょうか?。結構、私たちの周囲には「こんなとこ、あんなこと」の場所があるようです。
そんなことを考え、次は3回目の「探検隊だぁ〜」
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