大分前この欄で「やりたい事は ? 」と聞かれたら「片手にぐいのみ、片手に本かな」と書いた覚えがある。定年前のある時、飲み友達と一日平均の飲酒量をビールに換算し、飲み始めた時からどの位の量になっているか計算したことがある。 ( 馬鹿なことをしたものだ ) 結果は言いたくないが、風呂いっぱいのレベルでは全然ないことだけは確か。バッカスの神にとりつかれ、若いときは「1升酒」を誇っていた (?) 吾輩も、近年の酒量の低下にはトシを感じざるを得ない。「年金生活なんだから、お酒も減って丁度いいのよ」とカミサンはほざくが、なにせ幕張本郷駅から自宅までシラフなら 2,300 歩なのに少々聞こし召したかなと思っただけで 4,000 歩近くになるは何故だ。 (つまり千鳥足なのだ)
大昔、安酒場で吾輩を酔って面罵した先輩が数日後「何言ったか覚えてない。カンベンな」とのたまわり「ざけんじゃね〜」と怒ったが、今になれば「記憶が飛んじゃうこと分かります」と言ったところ―。先輩の気持ちも今は理解でき「人生いろいろ」と思うのみ。
読書も青年時 ( あったのだ )300 頁程度の装丁本なら、ひと月に 15 冊は読んでいたが、齢 65 を数えると 10 冊がせいぜい。「現役時代より時間は有り余っているんだから、もっと読めるんでないの ? 」とこれまたカミサンがヌカシおる。‘今読んだばかりの部分'が二、三行進むと忘れてしまい、元に戻って何度も読み直せねば頭に入らぬことを口惜しいから白状したくないが、それにしても近年の集中心欠如の甚だしさは如何ともし難い。
そんな訳で、数年前から読み終わった本をノートに書籍名と簡単な感想を記し残し始めた。 ( 同じ物をダブルで買うことを避けるためなのだ ) 今年5月分のそれをチェックしたら丁度 10 冊読んだことになっていた。「何を読んだの ? 」と聞かれると、これはまずい。エッセイや近代史好きの吾輩ではあるが、半藤一利・保坂正康・藤原正彦・阿川佐和子・遠藤周作・柳田邦男・五木寛之・立花隆と、他人様が聞いたら「どんな傾向が好みなの」と言われること必至の‘乱れ読み'を、‘3歩進んで2歩戻りながら'読めたというしかない。
しかし、しかしだ。‘行きつ戻りつ'の読み方は、最初とその後で感想や読後感が異なることがある。若いときは「一気呵成」に読めただけに‘思い込み'もまたあったが、「あっ、そうか。さっき読んだ時はこう思ったが、読み返すと別の意味もあったんだな」―。
同じ感想をもつご同輩が多いことを願うや切ではある。まっ、後戻りして読み返すと別の受け取り方が出来、新しい発見もできる。「深いんだな、人生っていろいろだな」と感心できるのも、集中力が切れ何度も中途で元に戻って読み直す「読書法」のご褒美ではないかと考えることにしている。 (悔し紛れですかな?)
「乱れ酒」と「乱れ読み」を少しづつ楽しみ、これまた、ほんのちょっと「人生いろいろ」を考えながら、今年の暑い夏を乗り切るか。 |