街のあれこれ、知りたいこと、言いたいこと、みなさまからのメールを中心にした、コミュニケーションのページです。
吾輩はオヤジである
色が黒い
吾輩は“アナログ”なんだよな〜
ゲンナリは暑さだけじゃなかった・・・
スポーツは素晴らしいものですゾ
子どもは「可能性のかたまり」
「判官びいき」って意味は何だっけ ?
“青春の涙”って素晴らしいもの
“プロ野球”をさまざまに思う
“先人の教え”はありがたいものですゾ
“食事”の摂り方、“飯”の食い方
時を超えた親友達との“友情”
子供を叱ることは、自分を叱ること”
乱れ酒、乱れ読み  そして  人生いろいろ
「文化・文明の発達」そして“我慢する”“もったいない”
酒飲み、酒癖、酒が友…秋だなぁ
変えてはいけないこと、変えなくてはいけないこと

 
「文化・文明の発達」そして“我慢する”“もったいない”

 最近、昭和の頃の風情を伝えるテレビ番組や小説が目に付く。昭和 30 年代の生活や町並みを再現した場所もいくつかあるそうだ。 M@WS で一緒に遊ぶ子供達に「あのな、昭和 39 年の東京オリンピックの時にな―」と話しかけたら全員キョトン、中に物分りの良い A 君が「あぁ〜知っている。歴史の本で読んだ」と答えた。「むむ、歴史か。それでは吾輩は化石なのかな」と思うほど確かに昭和は遠くなってきた。

 いつ頃からだったろう、新婚旅行の行き先に外国が増えてきたのは。そしてじきに誰でも彼でも外国旅行ブーム。「日本人はみんな眼鏡をかけカメラをぶらさげている」と外国の評論家に皮肉を言われた時代もあった。そのカメラ ( 写真機 ) も今では「ディジカメ」と言わねば通じなくなったよう、確かに撮影してもすぐ再生できるしトリミングも自由、失敗すれば削除すれば OK 、フィルム一枚を無駄にしないよう考え考え撮っていた時代に比べ素晴らしい進歩だ。万事「文化・文明の発達」は素晴らしいのになぜ「昭和回顧」なのだろう ?

 1j =360 円という超「円安」では海外旅行は夢、ドン・キホーテで2千円前後で買えるスコッチが当時は1万円。何でも売っているし買えるスーパーはないし、外国ブランド品販売のブティックなど言葉すらない―。夏場の夜は蚊に体中食われ寝苦しいし、水洗トイレも殆どないので時々回ってくるバキュームカーの強烈な匂い―。そんな昭和 30 年代が何故懐かしいのだろう ?

 なぜか竹ん棒を持って「わーいわーい」と叫びながら町中を走り回る男の子達がいた、ゴム飛びでおかっぱ頭を汗だらけにする女の子達がいた。銭湯で「ぬるくなるからうめるな」と言い、時々はフルーツ牛乳を奢ってくれる頑固爺がいた。「お口に合いませんでしょうけど」と言いながらお裾分けしてくれる隣りのおばさんもいた。先生はおっかなかったけど涙を流しながら叱ってくれた―。

‘団塊の世代'の「定年」も昨今の話題だ。みんなで作り上げてきた「豊かな文化・文明」を否定する気は毛頭ない。ただ、新聞・ TV を賑わせる殺伐とした事件の数々やモラルの欠如した事象から、人情味溢れた昭和 30 年代に誰もが郷愁を感ずるのではないだろうか。

 物質的な贅沢さをより求め、人情味もあわせ望む社会はそう簡単には実現出来ないと思う。でも、「他人が見ていなくても交通ルールは守る」「買物にはエコ・バッグを持参する」「第二の故郷・幕張西に住んでいることを考える」―。‘我慢する'‘もったいないと思う'こんなところから現在と「昭和のよき時代」が共生する第一歩になるのではないだろうか。

  ローマの遺跡に「今の若いものはけしからん」と刻んであるそうだが、年寄りの永遠の愚痴を言う気持ちはさらさらない。どなたか黒こげオヤジへのご批判・ご意見いただければ、もう少し頭を柔らかくできるかも知れぬ。協力願いたいものだ。
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幕張西スポーツクラブ
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会 長   結 城 幸 雄