さしもの猛暑も彼岸が近くなり落ち着いたようだ。またまた親友の「酒」の話し。
歌人・若山牧水の作に有名なこんな歌がある。
白玉の 歯にしみとおる 秋の夜の 酒はしずかに 飲むべかりけれ
「秋らしくなった。酒が恋しくなるなぁ」と女房に言ったら「あなたはいつでも恋しいんでないの ? 」と言われた。まぁ、酒を友としてじきに半世紀に手が届き、女房との付き合いより長いのだから文句いわれても仕方ない。
若い頃は他に遊ぶものもない時代、「ちょっと行くか ? 」と同僚を誘えば「よっしゃ」と同時に足先が‘行きつけ'に向いたが、最近の若い人を誘っても「どこへ行くんですか」「酒は苦手ですから」が多く、飲み仲間を失った年寄りには‘悪い酒'とあいなる。
だから、牧水の名歌でも‘酒はしずかに―'には異論があるところだ。
「笑い上戸」「泣き上戸」「怒り上戸」が酒飲みの‘三癖'とか…。‘笑い'は結構だが‘泣き、怒り'は弱ったもの。「それではお前は」と聞かれれば「会話上戸」と答えることにしているが、人様にシラフの時に聞くと「口角泡を飛ばしてやりあってたゾ」とのことで、これまたご迷惑のかけっ放しの何十年というしかない。
10年程前の現役時代は、懐にも少々余裕があり、「行け、行け」と 2,3 次会となり、帰宅は午前様が常態。お得意様とのお付き合いともなれば , 親友の酒を‘殺して'飲むことも…。結果は翌朝明らかで、二日酔いの頭を振りながら必死に出社のありさまだ。
そこで現在。 M@WS Walking でも企画したことのある東京・深川の八幡宮に、加齢による‘俄か信仰'臭くなったためか数ヶ月ごとに参拝するようになった。不動尊と八幡宮にお参りした後、深川丼の老舗に飛び込み「ぶっかけ頼む、その前に常温で1杯お願い」と注文し、日本酒をコップでひっかけて‘ぶっかけ'を流し込みお天道様の高いうちに帰宅する。これぞ「至福の時」で若い者には真似のできない‘親友とのつきあい'となる。
二日酔いするような暴飲する体力もないし、経済的にもこの程度が適当。第一、巾着を握っている女房が昔のように飲ませてくれぬ。 (これが本音か?)
「秋の夜長」、前々回も書いたが図書館でお借りした本を片手に、チビチビと嗜む一杯の酒の旨さが分かってきたのは、神様が与えてくれた「本物の自分の時間の楽しみ方」と勝手に考え納得している。
どうも、スポーツ主体の M@WS HP に馴染まぬテーマばかりを書いて申し訳ないが、吾輩と同じ‘酒が親友'のご同輩にはお分かりいただけるものと信じているが如何か。 |